2009年9月 1日
大日本帝国陸海軍の軍刀
特に日本の場合、軍人の帯刀(佩用)は廃刀令で認められており、最初期は西洋式サーベルやサーベル拵(こしらえ 刀の外装のこと)の日本刀等まちまちであったが、西南戦争の抜刀隊に対する評価や日本人古来の刀に対する認識等から、日本刀の刀身を改造して西洋風のサーベル形式の外装にいれて佩用されるのが普通となった。
その時代や戦場等場合にもよるが、基本的に軍刀を佩用出来る軍人は士官(将校)及び准士官であり、それ以外では陸軍騎兵・輜重兵・憲兵等の特定兵科や本部勤務・営外居住の一部の下士官兵(所謂、帯刀本分兵)も該当する。 昭和に入ると、日本式物品の称揚や実用的観点から半太刀拵になる等、バリエーションも非常に様々である。
基本的に帯刀本分兵の軍刀は官給品であったが、将校の佩用軍刀は拳銃同様に官給品ではないため、階級に見合う刀剣を自前で購入する必要があった。これにより、軍刀としての基本形は定められていたものの、あくまで「私物」のため、将校各個人の嗜好や趣味により実に様々な拵や刀身の軍刀が存在した(もっとも、一部の軍刀に興味のない者や財力が乏しい新任の少尉等は偕行社や水交社販売の所謂吊るしの既成品軍刀剣を購入することもあった)。中には単に普通の日本刀の拵を軍刀として改造した物も多く存在する。また前述の通り官給軍刀が支給されていた一部の下士官兵にも、財力、地位のある者や外地前線にいる者は将校と同じく私物として誂え軍刀を佩用する事は多々あった。
軍人以外では警察、警察消防、鉄道省(院)や総督府といった省官庁等に勤める官吏や、有爵者等にも常勤・正装時の佩刀の定めがあった。
基本的に、銃が主流となってからは廃止・儀礼化する傾向にあり、第二次世界大戦当時の時点で軍刀を兵器として運用していたのは、日本軍とその他幾つかの国のみであった。現在は各国とも、軍刀は完全に儀仗(刀の礼・抜刀礼)や正装時といった儀礼時専用の装備となっている。
明治より昭和初期まで使用されていた軍刀。拵は西洋式のサーベルであり、煌びやかなニッケルメッキの鞘である。しかし指揮刀タイプではなく日本刀仕込みのタイプは切羽や柄の鮫皮巻き等に日本の刀装具の面影を見せている。日本刀仕込みのタイプは柄も両手握りも多く、鞘も日本刀々身用である。昭和期に入り各部の不都合な点を改善して当時の流行に合わせた太刀型軍刀に取って代わられたが、古参将校や上官からこれを譲り受けた若年将校等の中には、終戦時までこの旧型軍刀を使用し続けた者もいた。騎兵科軍刀のみ他兵科軍刀と違い柄に差異(護拳の透かしの模様、柄頭の金具の有無等)がある。騎兵科将校佩用刀を中心に稀に特注の片手握りの品もある。階級により背金を占める彫物の面積が尉官は柄頭終端、将佐官は全体等と変わる。
三十二年式軍刀
名称の通り、明治32年に制式化された下士官兵用軍刀である。甲と乙の2種類があり、甲は騎兵用(身長ごとに振分けて支給されたという当事者の証言もある)で全長が長い。刀身は基本的に工業生産による物であり、将校用と異なり柄は西洋式の片手握りのみ。昭和に入り、「使いにくい」と評判の良くなかった片手握りのサーベル式の柄を日本刀式の物に変更した「三十二年式改」(仮制九一式)へ改められた。また、拳銃と軍刀を馬上で併用する騎兵の煩雑さを考慮し、南部十四年式拳銃を柄とするガンブレードに近い型試製拳銃付軍刀が試作された事もある。しかしこれは拳銃・軍刀どちらとしても中途半端で使いにくい失敗作となり、試作だけに終わった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
明治から昭和初期までは多く利用されていたのですね。
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